2007年2月28日(水)
第18回研究交流集会
第18回研究交流集会
記念講演する三上昭彦さん
「教育基本法『改正』と日本の教育」
記念講演する三上昭彦さん
「教育基本法『改正』と日本の教育」
2 地教研とのかかわり
地理教育研究会が発足した1957年、民教連の結成に参加するとともに、社会科に関連する研究団体との研究協議を継続している。
社会科創設から30年を経過して、民教連内に「社会科30年を考える会」が組織されました。
1977年には、社会科の歩みを総括しながら今後を展望する公開研究会が開催されました。
この「考える会」には、教育科学研究連絡協議会、日本生活教育連盟、全国商業教育研究協議会、
全国農業教育研究会、全国民主主義教育研究会とともに、地教研も参加しました。
この共同研究の成果は、『日本の社会科30年』(民衆社刊、1977年)、『社会科の本質と学力』(労働旬報社刊、1978年)にまとめられました。
1986年、臨教審第二次答申で示された『社会解体』に対しても、ただちに「社会科問題シンポジウム」が開催されている。
地教研からも大谷猛夫、佐々木夏実、福島達夫の各氏が参加し、その成果は、「社会科『解体論』批判」(明治図書刊)にまとめられている。
1997年、「“日本の社会科”を考える大集会」が成蹊大学で開催されるとともに、2年後には、第2回社会科シンポジウムが、東京芸術劇場で開催されました。
翌年には、社会科教科書シンポジウムが東京芸術劇場で開催されました。
1999年の国旗国歌法制定以来、明文改憲ならびにその前哨戦としての教育基本法改悪が焦眉の課題となると共に、
日本民教連の仲間とともに、教育研究団体にふさわしい記念講演、パネルディスカッションなど多彩な形で運動してきました。
民教連が社会科関連団体の連絡・調整機関として重要な役割を果たしてきたのです。
現在、民教連には、52の民間教育研究団体が加盟し、その運動は46年余にわたっています。
この民教連運動を今後とも発展させていきたい。地理教育研究会常任委員 戸倉信一
1 日本民教連の誕生
憲法・教育基本法の成立とともに、戦後の民間教育研究運動は発展してきた。
国家統制下に置かれた戦前の反省を踏まえ、子どものための教育を権力や行政当局にまかせておくことはできないという発想からである。
1950年以降、いわゆる「逆コース」が始まり、教育に対する国家統制が強まるようになった。
吉田茂首相は、「万国に冠たる日本の歴史、国土美しき日本の地理」を教えていない社会科の内容の改訂に踏み切り、
1952年には文部省から「社会科の改善についての方策」が出される。
1953年から「偏向教育」攻撃が始まるとともに、1955年以降、小中高の学習指導要領が逐次訂されました。
「政治的中立性」の名の下に、権力による教育内容への介入が強まるようになりました。
これに対して、自主的研究運動をすすめていた民間教育研究運動は機敏に反応し、社会科問題協議会が次のような第一次声明文を発表しました。
「われわれはひとしく教師の実践成果にもとづく現行社会科の改善を請い願い、
科学的な地理歴史教育及び民主的な道徳教育の徹底を希望しているのであって、社会科基本精神は近代教育学の当然の帰結であり、
これをゆがめることは許されません」(1953年8月4日)
この社会科問題協議会には、歴史教育者協議会、郷土教育全国連絡協議会、教育科学研究会、日本生活教育連盟、日本作文の会などが結集している。
教育課程全面改訂の中間案が出されると1958年には、教育課程研究全国大会が開催されました。
こうした民間教育研究運動の高揚の下で、1959年、民間教育研究団体の「連絡、交流の場」として「民間教育団体連絡会」(略称:日本民教連)が創設されました。